広島・原爆の日です。

あの時 私は2才になったばかりで、爆心地から2.3キロの実家で 被爆しました。
母が朝の洗濯を始めた直後に 異変を感じたそうです。
家は爆風で傷められましたが、火災にも遭わず、家族皆無事でした。

2才の私に 直接の記憶があるはずもなく、日頃は自分が被爆者であることを忘れています、健康なお陰で本当にありがたいことです。

この時期 沢山の人がその悲惨な体験を語り、伝えようとしています。

私の母は 余り多くを語ろうとはしませんでした。
書と短歌を詠むことを生涯の趣味としていた母は その代わりに当時の体験を「私の原爆記」として書き残しています。
国民学校の先生をしていたので、避難所になっていた学校に行くと、沢山の避難者の中に教え子達もいました。
母は救助にあたったその時の様子を簡潔な日記に書き留め、短歌を添えています。

ここには 一部だけ 紹介します。
「先生 殺してと とびつける教え子は むざん全身火傷にくるう」
「逃げし田に 子の蚊を追いて眠らねば 街の火炎は燃えつおとろえつ」
「水をくれと われにたのみし人は今朝 息絶えてあり眼ひらきて」

ただでさえ悲惨きわまりない状況に 自分の教え子が置かれている現実は、母にとってどんなに辛かったことでしょうか。

短歌には 深い思いが込められています。
詠むことによって 語りきれない思いを 祈りに昇華していったのだと、私は思います。

母の記録はそのまま「広島原爆戦災誌」という資料のデータの一部として保存されています。
思いは しっかりと後世に伝えられることでしょう。

あどけない2才の孫のゆうにゃんを見ていると、あの惨状の傍らにいたと言われても、記憶にないのは当然だと思いつつ、幼子を抱えて奔走しているなかで 短歌を読み続けた母の強さに ただただ敬服するばかりです。

年に一度 この時期にはせめて母の記録をとりだし、思いを寄せることにしています。



コメント

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ひろりん
2010年8月7日17:03

原爆記念の日、ことしは何かと話題を呼んだ祈りの日。
平和であることにただただ、感謝の1日でしたね。

ねこ婆さん
2010年8月7日20:33

平和であることに、そして健康であることに感謝・・・ですね!