昨夜寝る前にテレビ番組の「私の子供だった頃」を見ていたら、
元プロ野球選手・張本勲さんのお話しでした。

同じ中学校の出身であることは 何となく知っていましたが、
今回被爆体験という内容が中心だったので、住んでいた町や中学校も取材されていて 
私の生まれた町や母校がしっかり出てきました。

私が生まれたのは1943年 場所は爆心地から2.3KM
張本は1940年生まれ 爆心地からは2.5KM で生まれたそうです。

「裏山(比治山のこと)が陰になったので 原爆投下の際の光線を浴びなくてすんだ」という状況は 私と全く同じです。
ほとんど同じご町内だったのでしょう。
そして 「逃げたところが葡萄畑であった」ということも・・・

2才だった私は 母に背負われて祖父母と一緒に郊外に避難し、葡萄畑に蚊帳を吊って 1週間くらいいたと聞いています。
母はその地区の小学校の先生をしていたので、私を背負って学校に避難してくる人たちの世話に走り回ったそうです。
それは 本当に悲惨な状況だったと 後で体験を文章に残していました。

私の被爆体験は 直接記憶に残っているものはありませんが、子供の頃の思い出の中には 原爆にまつわることがたくさんあります。

番組の中で 張本が訪ねた母校は 私の中学時代を一気に思い出させてくれました。
彼が卒業した年に 私が入学していたことになります。
2階建てだった木造校舎が4階建ての鉄筋校舎になっていただけです。

ここで2年生の時に生徒会役員の一人として 全校に呼びかけて「折鶴の子の像」を建設する資金を集めました。
あの時 YMCAにあった事務局に届けたお金は いくらくらいだったのか、記憶には残っていませんが 仲間の顔はしっかり覚えてています。
「中学生の顔」のままで・・・

8月になるといつも 私にとっての「原爆」を書き残しておきたいと思いつつ 年を重ねてきました。

元気なうちに・・・動けるうちに・・・
善は急げ・・・

コメント

nophoto
ひろりん
2008年9月4日22:15

がんば!